磯崎新の処女作
先週のエクスナレッジでの本の企画会議のあと、磯崎新アトリエOBの彦根さんと、新宿ホワイトハウス(1957)を訪れました。
磯崎さんの最初期の住居といえば、N邸が、つとに有名でしたが、まさか百人町に本当の意味での処女作が残っていたとは驚きです。
N邸も処女作とされてきた大分県医師会館も壊されてしまったのに、このバラックともいえる建物が残っていて、カフェとして体験できるのは、まったくもってラッキーなことかもしれません。
ウィキぺディア によると、高校の後輩である美術家の吉村益信氏に赤瀬川原平氏の兄の結婚式の合間のトイレで頼まれて、図面だけ書いて渡して、現場監理はしていないから、公に知られていなかったようです。
磯崎さんは26歳だった当時から成長してないと謙遜されていましたが、3間立方のホワイトキューブのアトリエから、手摺のない開放的な階段でメザニンへとあがる構成は、毎夏打ち合わせに伺った軽井沢のアトリエを彷彿とさせます。
木造のバラックとは思えないダイナミックな空間性に、磯崎さんの建築の根源的な強さを見せていただいた気がします。
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