都市の軸線
丹下健三は広島平和資料記念館設計コンペ案で原爆ドームに向かう軸線を提案しました。
昭和30年当時からすると手が加えられてしまっているけれど、軸線のアイデアと記念館(本館)は丹下健三の代表作にかわりありません。
惜しまれるのは、軸線の要に据えられるはずだったイサムノグチの原爆死没者慰霊碑案が政治的、人種的な謀略から採用されず、埴輪型の彫刻になってしまったこと。
地下に戦没者の慰霊空間が連続するこの案が実現していたならば、時間や場所を超えた傑作になっていたのに。
こういう捻じ曲げはいまもかわらず、新館やそのロビーに掲げられたのん気な壁画が物語っています。
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